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3月10日 東京大空襲
TBS系でやった『3月10日 東京大空襲』というドラマ&ドキュメンタリー番組を観ましたか?

私はこのニュース記事『東京大空襲で一人娘失う、孤児500人の95歳母が半生記』を読んで、それまであまり知らなかった東京大空襲の事をもっと知りたいと思ってウィキペディアで調べたらかなり詳しく載ってました。
(→ウィキペディア『東京大空襲』のページ)

このドラマ&ドキュメンタリーの特別番組は始まって20分ぐらい経ってからたまたまテレビを観たら気づいたので最後まで観たんだけど、大空襲のシーンがかなりリアルな映像で怖かったし、戦争の悲惨さにかなり泣けました…。

このドラマの主人公は警視庁で写真係の特命を受けた石川光陽という人物(上にリンクしたウィキペディアの「東京大空襲」のページに載ってる地上の写真もその人物が撮影したもの)で仲村トオルが演ってるんですが、主人公の良き同僚役の原田泰造もいい演技してました。

ドキュメンタリー部分がドラマの合間合間に挟まれるのは良いんですが、CMを挟む回数がかなり多くてイライラしました…;

B29に乗って空爆を実行したアメリカ元兵士達が60年以上経った今でも年に一度集まって同窓会みたいなことをしている映像がドキュメンタリー部分の最後の方で流れて、嫌悪感を持ちました…。
石川光陽さんが撮影した、空襲に遭った悲惨な写真を、日本のテレビスタッフが初めてアメリカ側に見せたんですが、そのB29に乗っていた当事者達にも写真を見せて、3人ぐらいの元兵士にコメントをもらってましたが、その内の一人が顔をしかめながら「任務だったから仕方なかったんだ」と言ってたことにも嫌悪感を持ちました…。
確かに兵士の立場にしてみればそうなんでしょうけど、思っていても日本人にそれを言うなと思いました…。

東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイに戦後、日本が叙勲した(日本の自衛隊設立に貢献したから)ことにも嫌悪感が…。
当時、やはり相当波紋が拡がったそうですが。

東京大空襲後も日本の沢山の地方が大空襲を受けたそうです…。
今まで、原爆を投下された広島と長崎のことしかあまり知りませんでしたが、日本はこんなに被害を受けてたんですね…。

今でも地球上から戦争は無くなってなくて、世界中から戦争がなくなる時代は来るんだろうか…と思いました…。
戦争が無くなってもテロとかいろんな事件とかあるんですが、とにかく世界の平和を願ってやみません…。

(ニュース記事が削除された時の為にコピペ)
東京大空襲で一人娘失う、孤児500人の95歳母が半生記
(2008年3月8日14時33分 読売新聞)
 1945年の東京大空襲で家族を失い、戦後は戦争孤児らの母親代わりとなって福祉施設で働いてきた女性が、その半生を冊子にまとめた。
 500人を超える子供たちから「お母さん」と呼ばれてきた女性は、彼らに寄り添ってきた年月を「自分の娘が『私の代わりに育てて』と言っている気がしたから」と振り返る。冊子「炎の中、娘は背中で…」は、空襲から63年目となる10日に出版される。
 現在、東京・国分寺で妹と暮らす鎌田十六(とむ)さん(95)の自宅には、夫・茂さんと実母うめさんの遺影があるが、一人娘の早苗さんの写真はない。「生後7か月で、写真を撮る間もなく逝ってしまったから」だ。
 63年前の3月10日未明、空襲で空が赤く染まる中、当時住んでいた浅草区(現台東区)の自宅から逃げ出した十六さんは、娘を背負ったまま隅田川に転落した。刺すような冷たい水に意識が遠のく中、背中だけがわずかに温かかったことを覚えている。
 意識が戻った翌朝、死体の山の間を歩いて避難所にたどり着いた時には、背中の娘も既に冷たくなっていた。お地蔵様のような顔にヤケドの跡が痛々しかった。「私が助かったのは、背中が濡(ぬ)れなかったから」。十六さんは今も「娘に助けられた」との思いがぬぐえない。一緒に逃げたはずの夫の遺体は1週間後に川底で見つかり、母とは生き別れになったままだ。

 新しい「家族」に巡り合う転機は、1年後の46年3月、上野公園で戦争孤児たちを見たことだった。「娘が引き合わせてくれた」。十六さんは板橋区にあった都養育院で孤児たちと一緒に暮らし始める。同院には戦後、繁華街からトラックで孤児らが次々と連れて来られた。100人近い孤児を2人で世話した時期もある。盗みや脱走を繰り返す子どもを追っては、交番や学校を謝って歩いた。子供たちから「お母さん」と呼ばれるうち、十六さんは笑顔を取り戻していった。添い寝をした子供に朝、「僕の母さんのよう」と言われたのも思い出だ。

 その後、別の児童養護施設の寮母になった。70歳で退職するまで、養育院時代を含めて育てた子供は500人以上にのぼる。結婚式に母親代わりに出席を求め、「母さんの教えを今、子供に伝えています」と近況を手紙にしたためてくる元孤児もいる。

 「普通の人の何百倍も、家族の思い出をもつ私は幸せ」と話す十六さんだが、死んだ家族のことを忘れた日はない。大空襲の日から現在までの道を冊子にまとめたのも、「家族を奪った戦争のことを今の人に忘れてほしくない」からだ。「長生きしちゃった」と笑う十六さん。語り部としての責任をかみしめる。

 冊子は500円。問い合わせは編集元の東京大空襲・戦災資料センター(電話03・5857・5631)へ。

by lilu7 | 2008-03-10 23:59
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